吉原遊廓と今の吉原ソープ街を時をまたいで散策
皆さんは吉原遊廓より、吉原ソープ街といったほうがピンと来るでしょう。
しかし、どこにあるのか漠然としかわからない都民は意外と多いようです。
「上野?」「浅草?」「そもそも、吉原ってどこ?」と何度も聞かれたことがあります。
おそらくは日本最大級の花街が、都民でさえ知られていない魔境のミステリーゾーン。
それが吉原の一つの魅力かもしれませんね。
そして、吉原と聞くと何を思い浮かべるか。友達に聞いてみました。
・ソープランド街
・吉原炎上
・吉原遊廓
概ね正しいと思います。ほぼ予想通りの回答です。
さて、この他に吉原にも見どころ、楽しみがあるとしたら?
・客引き怖い
・あるあ、ねーよ
・怖い人がウロウロしているのでは?
と答えが返ってきましたが、全てNoです。
客引きは風営法で禁止されていますし(しかし、敷地内から声はかかる)、見どころには事欠かず、怖い人どころか、人が数人歩いているかどうかの世界。
男の魔法の国、吉原。
異形の花街、吉原。
久々に足が向き、行ってまいりました。
なお、妻にも話したくらいなので、登楼はしていません。
ここが新吉原の最寄りです。
新旧の違いはググればすぐわかります。(これだけで長文になりそうなので割愛します)
出口3を出て、明治通りと土手通りの分岐を土手通り側にひたすら歩きます。
途中の商店街にこんなものも。
いかにも台東区のダークな部分にエンカウントした気分です。
(山谷も近いです。)
さて。
しばらくてくてく歩くと、見えてきました。
吉原大門の交差点。スカイツリーも見えます。
ここを渡ります。
ここまで三ノ輪駅から徒歩15分。
ここが大吉原の入り口、吉原大門の交差点です。
では吉原とはどのようなところなのかご案内したいと思います。
皆さんご存知の通り、東京最大級にして、日本最大級の花街です。
どんなところなのか、撮影してきたので見てみましょう。
なんか思ったより地味ですね。
夜行けばよかったかも。
最後のペパーミントとSILKY DOLLは行ったことのある店です。
通っていた頃に比べてだいぶ様変わりしました。店名が変わっただけかもしれませんが。
さて、ここから、ディープな街たる所以、観光名所をご紹介したいと思います。
最初は見返り柳から。
これは、吉原遊廓で遊んだ客が、名残惜しんで、この辺りで振り返ったことから、この名称で呼ばれているとか。
続いて、衣紋坂ですが、実際は坂ではありません。
土手通りから、吉原大門が見えないようにするために、S字型のカーブがあります。
これは、将軍が通るときや、参勤交代で通る大名に配慮したといわれています。
では、ちょっとした小話を。
吉原エリアには喫茶店が比較的多くあります。
※そのものズバリじゃん…。
その代わり、新宿や渋谷でよく見る無料案内所はありません。
こういった喫茶店が無料案内所を兼ねています。
これも実は吉原遊廓の名残です。
吉原の歴史本に詳しく記載されています。
今回、吉原に行った目的はここでした。
カストリ書房さんです。
遊郭から現代風俗まで幅広く関連書籍を取り扱った珍しい書店です。
多分、日本にここしかないと思います。
買ったものはこんな感じです。
左上から、全国遊郭案内の豆本、吉原遊廓の本、連れ込みホテルのルームキーホルダー、特殊なお店のシール、抜けられます栞、特殊なお店のキーホルダー、売春をなくしましょうシールです。
三国志好きが好みそうな店や、
如何にもな診療所があったりします。
次に、吉原神社。
敷地自体はそんなに大きくありません。
ただ、女性にご利益をもたらす神様を祀っているということもあり、一度女性客が殺到したそうです。
御朱印も頂けますので、好きな方は是非。
「あいぞめさくら」と読みます。
ここは先に記載した、見返り柳と同じく有名な木ですが、
江戸時代、吉原が吉原遊廓と呼ばれていた頃、恋に落ちた客と遊女が待ち合わせしたところ、などという美しげな逸話まで残っています。
続いて、吉原弁財天。
吉原神社から徒歩すぐの別館といったところでしょうか。
こちらは、関東大震災で亡くなった遊女たちを弔うために建てられたものです。
この池、弁財天の敷地内にある弁天池の跡です。
この弁天池は遊女たちがお参りし、
関東大震災ではここに逃げた遊女たちがたくさん溺死したといわれています。
有志の方の寄付でこんなに綺麗に保たれているそう。
最後に、浄閑寺。
この寺は、別名「投げ込み寺」と呼ばれ、身元不明の遊女が亡くなった時に葬られたり、最も有名なのは、関東大震災で被災した多数の遊女も葬られています。
「生まれては苦界 死しては浄閑寺」
比較的派手なイメージの吉原遊廓の実態が記された石碑をご紹介し、本記事を終わりたいと思います。